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昨今を騒がせているウィルスについて

中国の武漢市のコロナウィルスなのだが、

俺がそれを知ったのつい、1週間くらい前のことだろうか?
SCMRは最近、ことにテレビを見ることがなかったもんだから、

たまたま、社用車を運転した時にラジオでこの騒動を知ったというところだな。

色々と調べていると、最初の感染源について、生肉が原因とか生物兵器の漏洩だとか、まあ
色々ではあるな。

ま、実際に生物兵器の漏洩だったら、それこそ
その真実は隠蔽されると思っているが、

だが、これについて生物兵器の専門家ではないが、自分なりに両方の可能性について考えてみた。

生物兵器ではないとしたらの理由
・実際に見たわけではないが、中国での死亡者は殆どが高齢者であること
・高齢者は体力的にウィルスに打ち勝つ事が困難であった
・高齢者だけを狙い撃ちにする生物兵器に意味があるのだろうか?
・生物兵器は戦力や労働力となる若年層やその後の未来を支える子供も加害してこその脅威ではないのか?

生物兵器だったとしたらの理由
・死亡者の多くが高齢者であった
・この生物兵器は実戦タイプではなく、自分たちが意のままにウィルスを扱えているかどうかのテストタイプだったら?
・多数の高齢者は自国が抱えている問題の一つであったとしたら?
・生物兵器の開発から運用まで、自分たちが完全にコントロールが出来ているかを試す必要があり、その想定したターゲットのモデルを自国の頭痛の種である高齢者向けにしたとしたら?
・テストタイプの性質の開発については達成されていたが、感染のコントロールが自分達の想定を超えて制御不能となってしまったとしたら?

と、まあどちらの可能性についても考えてみた。

現地の人間がアップしたとされる動画や、現地に知り合いがいる人達の動画
といっても、本当かどうか確証を得る手段がこちらにはないから、
半信半疑として見るしかないのが現状だが
遊び半分で言えるような内容ではないからな、ま
ある程度は深刻に受け止めてはいるかな。

実際に通常のメディアで言われていることを整理してみると、

・武漢市は(または周辺)封鎖され、ガソリンも手に入らず武漢市内の住民も移動が困難になっている。
・春節の休みを2月10日まで延長する、この間は個人商店も当局から休業するように言われているらしい。

これらから考えると、印象でしかないかもしれないが、それだけ「やばい」ってことのように思う。

封鎖ってのはその地域全体を隔離しているってことなわけで、それ以外に手の打ちようがないってことで、「制御不能」に陥っているのだろうな。「封鎖」前に出た人間もいるだろうから、その中にも感染者がどうもいたらしい事がニュースになっていたね。

春節の休みを延長したということは、その分経済活動が止まるということだろ?それでも休みを延長したとうことは、仕事に行くな、家の中にいろという事のようだ。

中国としてもこの経済活動の停止状態が伸びるのは国としてもダメージだろうに、それを差し引いてでもそれを選んだというところを見ると…

これはそうでもしないといけないくらいのレベル?って考えてしまうな。

日本の医療関係者の話によると、体力ない年寄りが死にやすいウィルスと言っているが、

ま、詳しい事は分からないが、それだったらインフルエンザのほうがよっぽど人を殺しているように思えるし、インフルエンザ程度のレベルにしては、街一帯を封鎖というのも大袈裟過ぎるような気もする。

でも実際に情報を握っているのは中国の政府であって、それが封鎖の指示をしているのだから、
俺たちが考えているよりも、やばいのでは?
そのように思う。

でも、矛盾するかもしれないがこういう時に、より一層被害を重症化するのは平常運転を失った社会だと俺自身は思うから、情報に注意しながら毎日を生きるしかないかな。

とはいえ、

今回のことで日本の政府のおっさん達の対応も、なんか妙というか、後手後手というか、グダグダ、の穴だらけなような、そんな感じだし、

パンデミックを防ごうっていうのは、こういう伝染病の時の国際的な連携を要する大事なわけだよな。
(ま、生物兵器による有色人種の人口を減らす計画があるみたいな陰謀説もあるが)

ウィルス包囲網を各国で熱心にやっているのに、後から「インバウンド欲しさに、ウィルス包囲網に穴を開けて、パンデミック防止の足をひっぱった国。日本」として語り継がれるようなことにならなければいいよなあと思っている。

日本に観光にくる外国人は何も、中国人だけとは限らないのだし、症状が発症していなくても人から人に感染するわけだろ?

一昨年からだろうか?自分の身の回りで起こったことや、世の中で起こったこと等合わせて考えてみると、
自分がきっとこうに違いない、って考えていたことが実はその殆どが嘘っぱちや間違いや買い被りで、
簡単に言えば、レベルが高いとされる物事や人物の程度が、実はそれほど高くなくて、その先ある大局かつ高尚な思想や、展望もなく、その化けの皮が剥がれたという感が否めない。

こう言っては傲慢かもしれないが、「世の中って実はこんなに程度が低かったの?」ってそう思うことが多くなってきたような気がする。

スピリチュアルの専門のサイトには、多くのところで「二極化」という言葉が目立つ。確かにそうれはあるように思えるが、俺はそのこにもう一言付け加えたいような気もしている。
「化けの皮が剥がれ、あるいは実は自分達はまともだったことに気付かされた上で、大事なことを見直してまとも生きようとする者と、それでも尚、バカをやりつづけたがる者との二極化」に俺には見える。

因果応報は振り子に例えられることが、もし振り子と同じならば結構これらか、一部の人間にとってはシビアだと思うよ。
中庸というかプラスマイナス0になっていく過程ってのは、
-10が0にもどるには反対の方向に同じだけの力を加えなくてはいけなくて、-10に+10するから0になるわけでしょ?
それでさえも結構つらいと思うのだが、そこに振り子の原理が加わったらどうなるか?
逆方向のバイアスに向かったら、一回+10まで到達して、そこからまた逆方向に力を弱めながら傾いて、それを繰り返しながら、
0である中間に落ち着くのだろうけれど、
-10から+10だろ?その差は20だから、自分達がしたことの2倍の反動がやってきて、最終的には中庸に落ち着くプロセスの中で、持ち過ぎた者は多くを失い、失い過ぎた者は多くを得るみたいなそんな事になるような気がしている。
2倍か…きついだろうなあ…。

ま、そのように俺は感じている。
なんかこれが起こりそうだなと、内心社会的混乱とかそういうのを想像して、ヒヤヒヤしながら毎日を過ごしていたのが一昨年で、なぜヒヤヒヤしていたかというと、
例えば、良い世界になるプロセスでは人の血が流れる、というのがこの物質世界の現実でもあり、いくらよい結果のためのプロセスだったとしても、犠牲ってのは悲劇だからな。そして、その犠牲の多くは決して強う者ばかりではないという事でもあって
ちょっと心配はしていた。

さて、もどってウィルスの話だが今回のこの騒動は、特にもこの国のトップのリトマス試験紙みたいなものになるのではないかな?
と、いうか俺の中では、答えの一つが出ているのだけれどね。「ああ、やっぱりか」ということだな。人命、健康とインバウンドと言えば分かってもらえるだろうか?もっとつっこんで考えると、そののコロナウィルスなのだが、

俺がそれを知ったのつい、1週間くらい前のことだろうか?
SCMRは最近、ことにテレビを見ることがなかったもんだから、

たまたま、社用車を運転した時にラジオでこの騒動を知ったというところだな。

色々と調べていると、最初の感染源について、生肉が原因とか生物兵器の漏洩だとか、まあ
色々ではあるな。

ま、実際に生物兵器の漏洩だったら、それこそ
その真実は隠蔽されると思いっているが、

現地の人間がアップしたとされる動画や、現地に知り合いがいる人達の動画
といっても、本当かどうか確証を得る手段がこちらにはないから、
半信半疑として見るしかないのが現状だが
遊び半分で言えるような内容ではないからな、ま
ある程度は深刻に受け止めてはいるかな。

実際に通常のメディアで言われていることを整理してみると、

・武漢市は(または周辺)封鎖され、ガソリンも手に入らず武漢市内の住民も移動が困難になっている。
・春節の休みを2月10日まで延長する、この間は個人商店も当局から休業するように言われているらしい。

これらから考えると、印象でしかないかもしれないが、それだけ「やばい」ってことのように思う。

封鎖ってのはその地域全体を隔離しているってことわけで、それ以外に手の打ちようがないってことで、それ以外に「制御不能」に陥っているのだろうな。「封鎖」前に出た人間もいるだろうから、その中にも感染者がどうもいたらしい事がニュースになっていたね。

春節の休みを延長したということは、その分経済活動が止まるということだろ?それでも休みを延長したとうことは、仕事に行くな、家の中にいろという事のようだ。

中国としてもこの経済活動の停止状態が伸びるのは国としてもダメージだろうに、それを差し引いてでもそれを選んだというところを見ると…

これはそうでもしないといけないくらいのレベル?って考えてしまうな。

日本の医療関係者の話によると、体力ない年寄りが死にやすいウィルスと言っているが、

ま、詳しい事は分からないが、それだったらインフルエンザのほうがよっぽど人を殺しているように思えるし、インフルエンザ程度のレベルにしては、街一帯を封鎖というのも大袈裟過ぎるような気もする。

でも実際に情報をある程度の握っているのは中国の政府であって、それが封鎖の指示をしているのだから、
俺たちが考えているよりも、やばいのでは?
そのように思う。

でも、矛盾するかもしれないがこういう時に、より一層被害を重症化するのは平常運転を失った社会だと俺自身は思うから、情報に注意しながら毎日を生きるしかないかな。

とはいえ、

今回のことで日本の政府のおっさん達の対応も、なんか妙というか、後手後手というか、グダグダ、の穴だらけなような、そんな感じだし、

パンデミックを防ごうっていうのは、こういう伝染病の時の国際的な連携を要する大事なわけだよな。
(ま、生物兵器による有色人種の人口を減らす計画があるみたいな陰謀説もあるが)

ウィルス包囲網を各国で熱心にやっているのに、後から「インバウンド欲しさに、ウィルス包囲網に穴を開けて、パンデミック防止の足をひっぱった国。日本」として語り継がれるようなことにならなければいいよなあ、と思っている。

日本に観光にくる外国人は何も、中国人だけとは限らないのだし、症状が発症していなくても人から人に感染するわけだろ?

知らずに、例えればアメリカ人とかオーストラリア人とか中国人以外の観光客とか、まあ他の外国人が感染してそれぞれの国に帰ったらどうなることやら。

つーか、考えてみたら、こういう杜撰さから、収束するまで日本への渡航や、日本からの入国を拒否する国が現れたら、他の国からの観光客も激減するわけだし、

逆に俺が現に日本を旅行中のアメリカ人観光客だったとしたら、中国からの観光客を歓迎するのはともかくとして、
同じ観光客という立場の俺たちの健康や命は考慮されないんだな、ってきっと思うだろうね。

一昨年からだろうか?自分の身の回りで起こったことや、世の中で起こったこと等合わせて考えてみると、
自分がきっとこうに違いない、って考えていたことが実はその殆どが嘘っぱちや間違いや買い被りで、
簡単に言えば、レベル高いとされる物事や人物の程度が、実はそれほど高くなくて、その先ある大局かつ高尚な思想や、展望もなく、その化けの皮が剥がれたという感が否めない。

こう言っては傲慢かもしれないが、「世の中って実はこんなに程度が低かったの?」ってそう思うことが多くなってきたような気がする。

スピリチュアルの専門のサイトには、多くのところで「二極化」という言葉が目立つ。確かにそうれはあるように思えるが、俺はそのこにもう一言付け加えたいような気もしている。
「化けの皮が剥がれ、あるいは実は自分達はまともだったことに気付かされた上で、大事なことを見直してまとも生きようとする者と、それでも尚、バカをやりつづけたがる者との二極化」に俺には見える。

因果応報は振り子に例えられることが、もし振り子と同じならば結構これらか、一部の人間にとってはシビアだと思うよ。
中庸というかプラスマイナス0になっていく過程ってのは、
-10が0にもどるには反対の方向に同じだけの力を加えなくてはいけなくて、-10に+10するから0になるわけでしょ?
それでさえも結構つらいと思うのだが、そこに振り子の原理が加わったらどうなるか?
逆方向のバイアスに向かったら、一回+10まで到達して、そこからまた逆方向に力を弱めながら傾いて、それを繰り返しながら、
0である中間に落ち着くのだろうけれど、
-10から+10だろ?その差は20だから、自分達がしたことの2倍の反動がやってきて、最終的には中庸に落ち着くプロセスの中で、持ち過ぎた者は多くを失い、失い過ぎた者は多くを得るみたいなそんな事になるような気がしている。
2倍か…きついだろうなあ…。

ま、そのように俺は感じている。
なんかこれが起こりそうだなと、内心社会的混乱とかそういうのを想像して、ヒヤヒヤしながら毎日を過ごしていたのが一昨年で、なぜヒヤヒヤしていたかというと、
例えば、良い世界になるプロセスでは人の血が流れる、というのがこの物質世界の現実でもあり、いくらよい結果のためのプロセスだったとしても、犠牲ってのは悲劇だからな。そして、その犠牲の多くは決して強う者ばかりではないという事でもあって
ちょっと心配はしていた。

さて、もどってウィルスの話だが今回のこの騒動は、特にもこの国のトップのリトマス試験紙みたいなものになるのではないかな?
と、いうか俺の中では、答えの一つが出ているのだけれどね。「ああ、やっぱりか」ということだな。人命、健康とインバウンドと言えば分かってもらえるだろうか?もっとつっこんで考えると、そのインバウンド需要が集中する所はどこなのか?
まあ、後で個人的に調べてみよう。「話がおかしいと思ったら、金の流れを追え」という言葉の通りに

次にある種の答えが見えてきそうなのは「ワクチン」だと思っている。いま、その専門の機関や研究所が躍起になって開発を急いでいるようだが、俺はそのワクチンの開発は誰かからの指示なのか?それともその機関や研究所が自発的に始めたのか?そして開発後に誰が何をいうのか?についても注視していこうと思う。とういうか、何となく予想はできているのだが、
実際、それを誰が汗水たらして作ったのか?これを基本に考えて次の展開を見ると、また「レベル」が測れるようなそんな気もしている。

正直、むやみに騒ぐのも良くないことかもしれないが、実際に人が死んでいるわけで、その危険性は侮れないそういう事態ではあるわけだ。そういう時こそ目の前の現実に注意を向けるべきなのだが、ちょっと一歩引いた目線で見ると、これを踏まえて何をするべきか?何をされたのか?分かってくるのではないだろうか?
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市井の形而上学4 幸運と掃除についての考察

よく、トイレ掃除をすればとか、ゴミ拾いをすればとか
自分の運を良くする方法として本に載っているが

俺は守護霊とかそういうものを五感で知覚できない質だから
陰徳だとかそういうことについては分からない。

自分のやった事は良くも悪くも3倍になって返ってくるとか、
そういうも何となく信じてはいるほうだが、メカニズムについては
これだ!!ってすんなりと納得できるような答えは、未だに見つかってはいない。

家のトイレ掃除、はっきり言って毎日ブラシでゴシゴシするのも正直、現実的ではない。
というのも、これが家にお客さんがひっきりなしに来る、商売たとえれば
自宅を改修した喫茶店とかだったら、まだ毎日ブラシでゴシゴシするのも納得できるが、

基本的に家の者しか使わないトイレを毎日ゴシゴシすることに疑問が湧いてきたのだ。
週に一度くらいが適当だろうと、考えるようになった。
なぜかというと、一回入念に掃除すれば、そこまで汚れないからだ。
にも拘わらず、掃除ばかりしていたら、洗剤の減りは早くなり、現実問題として、金運が上がるどころか
財布の金が洗剤代へと消えていく。これはかなり厳しい。

やっぱり何でも、適度にそこそこにしておいたほうがいい。

それに、である。

トイレや水回りの掃除を漫然としていても、金を得るための行動そのものを疎かにしていたら、金運も幸運も
あったものじゃない。

トイレを掃除する度に天井からお金が降ってきたら、それほど楽なことはないが、
金に限らず幸運とかの殆どは人と人との間の中にあるものだと俺は思う。

まあ、それらの観点から俺自身は、「問題を見つけたら対処する」ための体づくりというか、脳の癖付けというか
そういう部分が正味なのだろうという風に考えている。

しかし、自己実現「毎日、できる限りトイレ掃除をする」と自分に課してみたのだから、トイレ掃除自体は、変な話だがやりたくて仕方がない。会社のトイレはどうか?残念ながら掃除当番という厳格なルールがあり、
まあ、最近はどこの会社も同じようなものだが、目的のためのルールではなく、ルールを忠実に守るためのルールがあるために、掃除当番でもない俺がトイレ掃除をすると、まあ上の人間から怒られるわけだ。
俺も俺で、良かれと思ってしたことに対して、結果的に嫌な目にあう理不尽な思いはしたくないので、「ルールのためのルール」を守り続ける彼らに対しては、彼らが幸せであることを祈るより他なく、下手に掃除もしない。

しかし、この自己実現欲求はどこかで晴らさなくてならない。

たまたま入ったコンビニでトイレを使った。見るとトイレが汚れていた。
「問題を見つけたら、できる限り対処する」に従って、トイレットペーパーと手洗い石鹸を借りて、見えた汚れだけでも掃除してみた。

終わったら、便器のフタを閉める。

トイレを出た後、やはり自分のその行動の異質さを感じてはいた。普通、やらないよな。

しかしである、まあこういうのもナンだが、世の中で成功を収めている人間はそこまで他者の目や批判を気にせず、自分の信ずる所をやったその結果ならば、

この異質なトイレ掃除は、
「一般的、多数派」の行動から、離れるための訓練のようなものではないか?

そのように考えた。よくビジネス啓蒙書に書いてある「他人と同じことをしていてはだめだ。」と言葉を思い出した。

そうだよな、そうだよなと
日々、どうしたものかと考えていたが、

一般的な慣習や慣例を超えて、概ね他者に迷惑をかけない範囲で、人に親切にしたり、道徳的な行動も出来なければ、結局自分はその流れに飲まれ続けるのだということに気付いた というか 思ったというか。

「人の目を気にし過ぎて、親切も働けない人間に、大したことが出来るのか?」
と、何かに頭を殴られたような、ショックというか、言葉というか
ガツーンと頭の中に入ってきた。

トイレの掃除が思わぬ学びというか、答えというか
そんなものに結び付いた気がしている。

はっきり言って俺のしていることは変人的だ、そのように自分自身を多少批判的に見て言動を精査しないと、
独善性がエスカレートすることにもなりかねないから、そういう目線は持ちつつ暫く続けてみようかと思っている。

しかし、考えてみると「トイレ掃除」家から外へと出ていったとうか、溢れだしたというか

でも、これは社会を良くするためとかそういうのではなく、自分自身の障壁を突き崩しくためのリハビリみたいな
もんだよな。

とはいえ、例え「ルールのためルール」を守る人も、突き詰めていけば「和」を尊ぶ人たちであることを認識して、また
そういう人たちがいるおかげで、他者と自分自身の性質的な違いを良くも悪くも、見出すことができること忘れてはいけないな。
他者がいての自分ってのがこの世界では往々にしてあることだから。

scmrの時間の考察について追記というほどでもないが

ま、何というか啓示というわけでもないのだが、
時間は自分の外側にあるのではなく、内側にあるのではないか?
つまりは、Time is on my side
時間は俺たちサイドが持っているもの ってな感じで

俺が昔聞いていた曲だ

Time is on my side
聞いてみてくれ

Time is on my side/Irma Thomas
原曲バージョン聞いてみてくれ

次は、そうな この世界と魂の関係と構造について考察しようかね

市井の形而上学3 生命と非生命の境界線についての考察

訳あって、生命体と非生命体の境目について考えてみた。とりあえず、今のところの俺の結論からいうと

行き着いた結論
・生命の起源について考えるのはナンセンスかもしれない
・宇宙を満たしていたのは非生命ではなくて生命、つーか生命エネルギー
・俺たちは非生命から生命が発生したと考えがちだが、むしろ非生命などといのはない
・そもそも、俺たちが非生命体と考えているものも生命体
・宇宙の生命を考える時、地球上の生物学の定義で考えると混乱する
・地球が生命、太陽が生命と考えるならば宇宙の初動となったビッグ・バンも生命じゃね?
・ビッグ・バンの破片みたいなものであるところのエネルギーってもんそのものが生命力じゃね?

とりあえず、今のところこう考えている。

scmrのここ数日

なんか、妙な感覚がここ数日している。

というのは、

そうなあ、何かが心の中でひっくり返ってしまったような、そんな感覚だ。

今までの、自分の感覚では普通じゃなかったことが、
なんか心の中で起こっているというか…

ま、俺は哲学、心理学、スピリチュアル、オカルトの類の深い関心をもっていたのだが、
それは

職場とか、金のなさとか、人間関係のトラブルとか
そういう物質世界でのアクシデントに対応するための、補助的な要因として
扱ってきたつもりだった。

ま、簡単にいえば辛い現状を乗り切るために「神様は見ている」と自分に言い聞かせて、自分を騙して乗り越える、
みたいな感じかな。ちょっと、違う気もするが概ねそんな感じだった。

まあ、形而上学的な知識は現実世界を生き抜くための道具として、日々の糧を得る職場だとかをメインのフィールドにしていたわけだ。

無論、それは今の現実も変わらず、俺は金のため、残業も今日の日銭をどのくらい稼げるかが勝負だと思って出勤している。

ところが、

心のどこかで、難解な問題を経験したいという気持ちが少しずつ、湧いてきている。
難解な人間関係のトラブル、無理難題な仕事、完膚なきまでの失敗と敗北、それらを心のどこかで求め始めている。
だからといって、自発的に問題を作り出そうとは思わないが、

そんな感じだ。

その心を探ってみると、それらの問題を通して、または経験して練習しようとしている気持ちってのかな、
そんなのがあった。

これらが起きたら、事はどのように流れていくのか冷静に見つめたい、とか
こんな問題に置かれた時、どのように自分が対処するのか体験したいとか

そんな感じだ。

なぜかなあ、って考えてみたら

どうも、職場と今いる人間との間で発生するトラブルの経験を沢山溜め込んで、後の自分のやりたいことに生かそう。
だから、トラブルや問題に貪欲になろうと、どうも自分が考えているようだ。

現実世界を後の自分の活動(一体、何をやるのやら…)に生かすための道具という、
以前と比べると、逆転した考え方になっているようだ。

俺自身は本末転倒な考え方に、自分は今大丈夫だろうか?と心配になることもあるが、
それともこれが今起きている自分自身の変化なのかもしれないと、少々悩んでやいる。

今日も平穏無事で肩透かしを食らったような気分だが、ちょいと今見えている不安の前兆と、これがどうなってどういう結末に行き着くやらという、静かなワクワク感もある。

なんか自分自身に妙な感覚がある。


家に帰ったあともそうだった。
プログラマーの美徳的心がけの一つを、つい思い出した。
「道端にゴミが落ちていたら無視せずにゴミ箱に入れろ、汚れているところを見つけたら綺麗にしろ」
プログラムってのは膨大な問題の塊みたいなもの、つまりはトラブルを引き起こす原因となるプログラム部分やバグの原因の巣窟みたいな見方をしなくてはいけない部分があって、
ゴミの片づけ、掃除を通して問題に対して敏感に反応する目を養い、そしてそれを見つけたならば対処する癖をつけるのだそうだ。
プログラマーにもそれなりの体作りがあるようなのだ。後の大問題を引き起こさないために

俺のような不安症や心配性、ペシミストには、案外向いている仕事かもな

ま、それを思い出した。そんで、
「俺は掃除当番の時は、会社のトイレを掃除しているのに家のトイレを俺が自身が掃除したことがロクにないな」と感じ、
家について早々、トイレを掃除してみた。

ま、何か綺麗にするっていう疑似的動作を通して、意識の中の汚れを落としたいようなそんな気分でもあったからだ。

特にトイレの掃除と、逆転した考え方と何の関連性もないが、第一トイレ掃除も三日坊主で終わるかも分からないしな。

週末は、人に会うことが多かった、たまたま以前世話になったコーヒー屋のおやっさんに会って、
「君はもっと怪しさを売りにしたほうがいい。見かけの恰好をもっと考えたほうがいい」と言われた。

そこから、そうなあ今後のための普段の俺ではない、キャラクターの作りを考えることとなった。

いの一番に考えたのが、やはり内面的なところ、そこから出る言動について変える必要があるかなあ、なんて考えていたら

またまた昔、俺が散々悩ませて苦労と世話をかけた俺の元ケースワーカーと会った。今はその人は違う職業をしているのだが、個人的な付き合いがその後も、ままあった。

あれやこれや昔話をしたそのついでに、自分のこれからのキャラ作りについてそれとなく、意見を賜った。
「何々といえば、何々」みたいな関連性の強いキャラを目指してみれば?と言われた。
簡単に言えば「手塚治といえば、アトムの作者そして漫画家」ってな即座に関連性のある連想をされる、そんな存在を目指せば?
とのことだった。

そうだな、それが一番いい。俺はそう思った。

すると、頭の中に「町の豆腐屋さん」が浮かんできた。
この「町の豆腐屋さん」ってのは、俺が社会とかビジネスとか流通とか技術の世界とか、経済とか政治とか公共性とか
まあ、そんなものを考える時の指標というか、考察モデルというかモデルケースというか何というか、
とにかく何かを考える時に非常に役に立ってくれる頭の中の豆腐屋さんだ。

いつも、社会的なこと考える時は、例えていうならば、
いつもその「町の豆腐屋さん」の店に寄り道をして、そこで働く顔の分からない店主やお客さんや、粒さにイメージしたこともない店の外観を眺めてから、答えという名の目的地に歩いていく。そんな感じだ。

唐突に心の中に「豆腐といえば、町の豆腐屋さん」という俺本人以外が耳にしたら、全くもって分けわからん言葉が思い浮かんだ。
まあ、「町の豆腐さん」の詳しい話は機会があれば、ということにして

その人に自分の考え方や言動、いわゆる内面を変化させようかと思っていると、話してみたら
「内面や言動を自分に合わないものに変えるのは、常に演技をしていることになる。その演技を無理に続けているとそのうち自分がくたびれてしまうよ。」と言われた。

それもそうだな、長続きさせるならば無理な方向に自分を捻じ曲げないほうが賢明だな。

「それよりも、変えやすい服装とかそっちのほうがいいと思う。それならば、心や言動をありのままにして、見た目で人は認識してくれると思う。」

やはりか、そう来たか。
ま、外見はゆっくりと考えるとして、

自分が自分に人に認識してもらいたいキャラクターを考えるに差し当たって参考までに、他人の俺に対するキャラ的な認識について、その人に尋ねてみた。

「そうだなあ、見た目は近寄りがたい心の中身がエケコ人形の男、だな。タバコもよく吸うし」と言われた。

とりあえず、俺は「近寄りがたいエケコ人形」という見方を手に入れた。
縁起物で良かったよ。

コーヒー屋のおやっさんの言葉をそこに加えると
「怪しく、近寄りがたいエケコ人形」になるな。

そういえば、かなり昔
夜の仕事をしながら、虎視眈々と反骨精神むき出しの画家の道を模索していた俺を友人が
「モグラだな。」といっていたな。
プロフィール

moz84

Author:moz84
Screamerと牛頭鬼八です。岩手県に生まれ、とりあえず生きてます。

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